『何者でも無い僕が、何者かになる物語』
ダンスとの出会い
ムネ
今だと起業されてっていう経緯になってきてるんですけど、何かその変わるきっかけというのは、
ここでバコっと流れが変わったとか、自信を持てたっていうのはあったりしたんですか?
ここでバコっと流れが変わったとか、自信を持てたっていうのはあったりしたんですか?
若山陽一郎
そうですね、それが正にダンスとの出会いだったんです。
病気でサッカー選手になれないっていうことがわかったときに、すごい悔しかったんですね。そのときに、いつか病気が治ったら、誰にも何にも邪魔されなく、自分のやりたいことを真剣に本気で心からやりたいっていうのを思っていたんです。そのときに、ちょうど中学校2年生ぐらいのときに、「天才たけしの元気が出るテレビ」っていうテレビ(番組)で、「ダンス甲子園」っていうのをやってたんですよ。
病気でサッカー選手になれないっていうことがわかったときに、すごい悔しかったんですね。そのときに、いつか病気が治ったら、誰にも何にも邪魔されなく、自分のやりたいことを真剣に本気で心からやりたいっていうのを思っていたんです。そのときに、ちょうど中学校2年生ぐらいのときに、「天才たけしの元気が出るテレビ」っていうテレビ(番組)で、「ダンス甲子園」っていうのをやってたんですよ。
大嶋啓介
ああ~
俺も見てた。そのときダンスやってました。
俺も見てた。そのときダンスやってました。
若山陽一郎
そうですよね?たまたま僕のダンサーの大先輩と啓介さんが繋がっているっていう。この前ビックリしたこともあって(笑)
ムネ
おお~
大嶋啓介
一緒に踊ってた。
ムネ
ええ~!!
若山陽一郎
啓介さんと一緒に踊っていた方は名古屋の超スーパースターで僕もすごい可愛がってもらっていた人だったんです。
大嶋啓介
同じ高校、大学で
若山陽一郎
ね
大嶋啓介
俺と同じ歳。ビックリしたもん。本当に俺が高校の時にダンス一緒にやってたメンバーでさ。
ムネ
そこが繋がってたんですね?
若山陽一郎
そうなんです。
大嶋啓介
そのメンバーが名古屋ではカリスマ、わっかんが尊敬するダンサーで。
ムネ
すごい!
大嶋啓介
俺も衝撃だったんだけどね。
ムネ
大嶋さんがダンサーだったっていうのも・・・
若山陽一郎
そうそうそうそう。笑
僕の先輩も啓介さんの今の大活躍を聞いてすっごいビックリされてました。
僕の先輩も啓介さんの今の大活躍を聞いてすっごいビックリされてました。
大嶋啓介
え⁉知らんかったって?
若山陽一郎
噂は聞いていたんだけど、今の状況とかを細かく説明したんですね、啓介さんが今何をされているのかっていうのを言ったら、めっちゃビックリしてました。
ムネ
面白いですね~繋がりって。
大嶋啓介
久しぶりに飯食いたいって言っておいて。
若山陽一郎
はい、わかりました、言っておきます。
大嶋啓介
3人で飯食おうよ。
若山陽一郎
ぜひぜひ!
大嶋啓介
めっちゃ楽しみ。
若山陽一郎
で、そのダンス甲子園を見たときに、コレだ!っと思って。
サッカーを超えるものがここにある!って僕の中で思って。ちょうどその頃に病院の先生から「運動していいよ」っていうのが出たので。その5年間の想いが一気にダンスに集中して。
もう親にも友達にもバカにされようが、何言われようが、もう止まらなかったんですよね、ダンスに対しての愛情が。
サッカーを超えるものがここにある!って僕の中で思って。ちょうどその頃に病院の先生から「運動していいよ」っていうのが出たので。その5年間の想いが一気にダンスに集中して。
もう親にも友達にもバカにされようが、何言われようが、もう止まらなかったんですよね、ダンスに対しての愛情が。
大嶋啓介
え~
ムネ
すごいエピソードですね。
大嶋啓介
いや、すごい。それでもうずっとダンスをやって、TRFのバックダンサーになるまでに何年くらいかかったの?
若山陽一郎
僕がちょうどTRFのバックダンサーをやったのが21歳とかなので。ダンスを始めたのが14歳とか5歳。なので7年とかそのぐらいですね。
ムネ
わ~すごい
大嶋啓介
すごいな。好きでやってワクワクしながらやっていると、そこまで行くんだね~
ワクワクする気持ちの大切さ
若山陽一郎
今、僕43歳なんですけど、今でも本当に全く同じ感覚で仕事をしていて。
やっぱりその楽しいと、勝手に毎日やっちゃうじゃないですか。
で、寝ずにやっちゃうじゃないですか。
で、気づいたらすごい上手くなってたんですよね、ダンスも。
やっぱりその楽しいと、勝手に毎日やっちゃうじゃないですか。
で、寝ずにやっちゃうじゃないですか。
で、気づいたらすごい上手くなってたんですよね、ダンスも。
ムネ
すごい。楽しいっていうのは一番重要なキーポイントなんですね。
若山陽一郎
啓介さんの講演でも本でも、楽しむことが重要だっていうことを教えていただいていたので、やっぱりそこだな~っていうことをすごく今でも思いますね。
ムネ
若山さんはそのあとダンサーになって、その手前にはサッカーをしていて、それから起業されていくってことですよね?
若山陽一郎
そうですね。本当はダンサーとして、一生それで飯食っていきたいっていう志があったんですけど、
やっぱりそんなに甘いものではなく、僕みたいなレベルでは東京の芸能の世界で生き残っていけなかったんですよね。それをまざまざと感じた瞬間に心が折れてしまって。で、23歳のときにすごい露頭に迷ったんですよ。
このまま行ったら僕は多分、お金も稼げないし、社会でも輝けないし、もしかしたらダンスでも輝けなくなるかもしれないっていうのを感じたときに、ちょっと路頭に1年ぐらい迷うんですよね。
やっぱりそんなに甘いものではなく、僕みたいなレベルでは東京の芸能の世界で生き残っていけなかったんですよね。それをまざまざと感じた瞬間に心が折れてしまって。で、23歳のときにすごい露頭に迷ったんですよ。
このまま行ったら僕は多分、お金も稼げないし、社会でも輝けないし、もしかしたらダンスでも輝けなくなるかもしれないっていうのを感じたときに、ちょっと路頭に1年ぐらい迷うんですよね。
ムネ
それは結構なダメージですよね、そのとき…
若山陽一郎
そうですね、金もないし、何もなかったので、ダンス取ったら何もないんじゃないのかっていうぐらいの。
で、そのダンス自体も東京では通用しないって知ったときに、本当にショックで。
で、そのダンス自体も東京では通用しないって知ったときに、本当にショックで。
人間力大學オンライン 講師:若山陽一郎氏
登壇日:2022年3月14日(月)
時間:20:00~21:45
講演テーマ 『何者でも無い僕が、何者かになる物語』
参加方法:人間力大學オンライン会員orビジター参加
ビジター参加費:ビジター参加費:2,750円(税込)
配信方法:ZOOM 人間力大學オンライン
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